明日は明日の風が吹く

マイペースに綴ってます。いろんな情報もあります。
岡本綺堂『江戸のことば』(随筆選)の印象深い文章。

『江戸のことば』内の「喜劇時代」から。

作者が中学生の頃、英国大使館書記官アストン氏と神田を歩いていたときの話。
まだ家並みも悪く、不体裁なものの溢れていた時代。

「倫敦《ロンドン》や巴里《パリ》の町に、こんな穢《きたな》い所はありますまいね。」


呼びかけた作者にアストン氏が答える。

「勿論です。」「新嘉坡《シンガポール》や香港《ホンコン》にもこんな町は少ないでしょう。」


アストン氏は続ける。

「併し私は日本の町を歩くことを好みます。そこには倫敦や巴里は勿論、新嘉坡や香港にも見出されないような大きい愉快を感じることが出来るからです」
「途中で出会う人――男も、女も、老人も、子供も、皆チャーフルな顔附をしていることです。どの人もみな楽しいような顔をして歩いています。こればかりは恐らく他の国には見出されますまい。それを見ていると、私も自然それに釣り込まれて、自ずからなる愉快と幸福とを感じます。それが嬉しいので、私は努めて東京の市中を散歩することにしています。」


少し歩いて、アストン氏は更に云う。

「東京の町はいつまでも此儘《このまま》ではありません。町は必ず綺麗になります。路も必ず広くなります。東京は近き将来に於いて、必ず立派な大都市になり得ることを、私は信じて疑いません。併しその時になっても、東京の町を歩いている人の顔が今日のようであるか何うか、それは私にも分かりません。」


その事を思い出しながら作者は記す。
アストン氏が予言したような時代が来た、と。

どの人の顔も昔とは違ってきた。或者は悩ましく、或者は悲しく、ある者は険しく、笑いを好む国民が近来は笑いを吝《おし》むような傾向になったらしく見える。



作者、岡本綺堂は明治〜昭和の人。1939年没。
戯曲家で江戸風俗の確かな知識を持っているとされる人。

何だかドキリとする話。
都会は人が増え、サカサカ忙しなく歩いてます。
すれ違う人の表情を見て、こちらまでも自然と穏やかな笑みが浮かぶなんてことは減りました。
穏やかな笑みより、嘲笑の笑いが増えてしまった昨今。

前後の流れを切っての紹介なので、こうした紹介は本当に魅力をブツ切りです。
気になった分を抜き出しただけなので、テーマもまた別にあります。
興味のある方は本で是非。

この本は文章が少々古いので本慣れしてないと読みづらいかも。
表現は難しくても、内容はスッキリ。
随筆選なので、短い話がたくさん。怪談奇譚なども入ってます。

↓画像はこちらからお借りしました(リンク先もこちら)


文章を書く人への戒めになりそうな言葉もあって購入。
(趣味が小説を書くことなので…)
同本の「言葉は正しく」から。

低俗野卑の流行語を濫用して、得々と新しがっているのは、如何にその作家が無教育であり、軽薄であるかを示すに過ぎない。


小説や戯曲の法として、特殊の言語は言語できっちり分けろとのこと。
これはこれで一理あり。